九月です

  • 2020.09.04 Friday
  • 09:25

皆さま😃こんにちは



九月に入りました。

猛暑が終わって、残暑に移ったかな?

と、思ったら台風ですね。



気をつけて下さい。



囲碁界で最初の頃に出来た棋戦、『大手合』がかつてありました。

段位を決めるために、行われていた棋戦です。



棋士にとって、当初唯一の棋戦でした。



そこから本因坊戦が出来て、名人戦が出来て、王座戦が誕生します。

現在まで脈々と受け継がれている棋戦です。

(名人戦はスポンサーが変更されています)



本因坊戦が初めです。



本因坊戦が始まった時は、『本因坊位継承戦』として

スタートしました。これは本因坊家が本因坊当主継承権を、

全棋士に解放した事に由来します。



名人戦は囲碁界において、最強の称号『名人』を全棋士参加する

形において、実力名人を決める…として始まりました。



江戸時代の名人は基本的に、推挙によって選ばれています。

その流れがまだ色濃く残っている時代に、始まろうとした名人戦。



当初囲碁界の重鎮棋士には、『名人は選ばれてなるべきもの』との意見が強かったらしいです。



かつて織田信長より、『その技名人なり』と本因坊算砂が賞賛を受けた

事から、名人=最強者となったと言われています。



その後豊臣秀吉より本因坊算砂に対して、他の全ての棋士に対して

白(上手)で打つことを允許されています。



これが『名人の允許状』と呼ばれています。



今回の名人位。どちらの棋士に、名人允許状が渡るのでしょうか?

歴史と共にお楽しみ下さい。







明治変革期 2

  • 2020.08.30 Sunday
  • 14:12

皆さま😃こんにちは



まだまだ暑い日が続きます。

たまに朝、散歩します。

清々しい朝は、どこにいったのか。

探しています。



本因坊秀和は跡目に悩んでいました。

跡目に決まっていた、本因坊秀策は既にいません。



しかし、跡目に相応しい弟子はいます。

本因坊秀甫その人です。



秀策がもし病に倒れず、元気であったなら後世の

評価が秀甫によって変わっていたかも…

と秀和が語ったと言われています。



実際は秀策の評価が、変わるとは思えません。

秀策を凌ぐほどの力を、秀甫が持っていたと評価されている

逸話です。



秀策は秀甫を可愛がっていました。

秀策対秀甫の棋譜も多数残っています。

兄弟子秀策の後に、自分(秀甫)が本因坊家を背負う。



秀甫自身、そんな気概でいたはずです。



本因坊秀和は秀甫を跡目とするべく、一つ準備に入ります。

後に本因坊家を継ぎ名人となる、実子秀栄を林家に養子に出します。

秀甫と秀栄は14才秀栄が年下。



この時点では秀甫と秀栄を比べるべくもありません。



誰もが秀甫が跡目になると思う中、異論を唱える方がいました。

本因坊丈和の後妻さんだそうです。



本因坊丈和には何人かの子供がいます。

次男に中川亀三郎。この棋士も重要人物です。

良く覚えておいて下さい。



後妻さんは秀和の跡目に、次男中川亀三郎を希望して

いたのではと言われています。



秀甫自身も丈和後妻さんと折り合いが悪かった…

なんて話も残っています。



困ったのは、本因坊秀和です。

本来なら、跡目は秀甫です。

でも、先代後妻の意向も無視は出来なかったようです。



結果、跡目にしたのは秀和長男の秀悦。

秀甫にとっては納得いかない形となりました。



そこで秀和は秀甫を、七段上手に推挙します。

七段上手になれば、御城碁に出仕する事が出来ます。

秀和にしてみれば打ちひしがれている秀甫に、

活躍の場と同時に秀悦の次は…と考えたのかもしれません。



秀和の苦心も時代が許してくれません。

世情の混乱に伴い、御城碁は停止。

秀甫は御城碁下打ちに参加しただけで、江戸城にて

将軍御前でのお披露目は叶いませんでした。



真っ直ぐな性格の秀甫。

大人の事情や、ままならない政治の問題に直面。

一途に棋道を極めようと、ただ歩んでいたいだけなのに…



心が折れたのでしょうか。

秀甫は江戸より、出奔してしまいます。

しばしの間ですが、表舞台から秀甫は姿を消します。



政治の世界では大政奉還が行われ、徳川幕府が終焉を迎えます。

幕府の庇護を受けていた囲碁界。当然ながら、大混乱です。

ここから囲碁界もいよいよ、激動の時代を迎えます。



今日はこの辺で。

(読み物としてお楽しみいただけたら嬉しいです。)












対局

  • 2020.08.28 Friday
  • 11:03

皆さま😃こんにちは



昨日は対局でした。

薄く打ってしまい悪そうでしたが、なんとか結果は幸いしました

我慢も大事ですね。



名人戦が開幕しました。

芝野名人に井山挑戦者の図式です。

これからはこのお二人が、タイトルホルダーと

挑戦者の立場を変えながら、対局して行くことが

増えそうです。



一局目は井山挑戦者の先勝。

後半、名人の追撃は見応えありましたね。



素晴らしい七番勝負になるのは間違いなさそうです。

囲碁フォーカスいかがでしたか?

  • 2020.08.24 Monday
  • 21:05

皆さま😃こんにちは。



囲碁フォーカスいかがでしたか?

新しい試みは、講談師さんのご参加でした。



時代感が出て来て、面白かったと思います。



少しだけ内容補足です。



本能寺における三劫話しは、有名なエピソードの一つです。

織田信長の御前にて本因坊算砂と、利玄が対局を行なっています。



場所は本能寺そして日程は、本能寺の変の前日となっています。

ただし棋譜からは三劫が、出来る部分を確認出来ません。



林元美が自身の著書において、本能寺の変におけるエピソードとして

紹介しているのが元ネタとなっています。



火の無いところに煙は立たず…とも言います。

古来よりの言い伝えもあったのではないでしょうか。



織田信長は本因坊算砂を可愛がったと言われています。

算砂が10代の頃に、信長が森蘭丸に命じ御前対局を

設定し、対局を行なったのが出会いだったようです。



本能寺に本因坊算砂が招かれ、信長と予期せぬ別れとなった

一局が今回ご紹介した一局です。そこに三劫伝説が加わっています。



その後本因坊算砂は一年近く、門を閉じ信長の喪に服します。



もう一つは吐血の局。



本因坊丈和を名人碁所から、隠居させる為に幻庵因碩が

画策した『松平の碁会』での一局です。



赤星因徹対本因坊丈和。本来であれば幻庵因碩が打つはずでした。

でも自身が打って勝つより、弟子が勝った方が丈和のダメージが大きいと

判断したと言われています。



私にはここに少しだけ、疑問があります。



本因坊丈和は名人碁所でお止め碁です。

将軍家指南役として、公式対局は行わず…となっています。

御城碁にも出仕していません。



そんな本因坊丈和がいきなり他家の跡目と、四日間に渡り真剣勝負を

行なっているのが少々疑問。そしてこの勝負に負けることで、名人碁所に

瑕疵が生じるのも少々疑問。



赤星因徹はこの対局から数ヶ月後に亡くなっています。

結核だったそうです。

そして因徹が亡くなる直前に、幻庵因碩は因徹と対局を行なっています。

その一局は赤星因徹の先番で、因徹の圧勝となります。

これが赤星因徹の絶局。この一局も一度並べてみて下さい。



私はちょっと泣けてきます。



幻庵因碩も赤星因徹の体調に、異変を感じていたと思われます。



その他にも細かくあるのですが、そこは割愛いたします。

いずれにしても、名局の背景を色々想像する楽しさを

感じ取って頂けたら嬉しいです。



本因坊丈和と幻庵因碩が自分達の立場と人脈を活用して、

赤星因徹に悟られないように用意した真剣勝負の場だった…

と私は想像しています。



楽しんで頂けましたか



囲碁の歴史 明治 変革期 1

  • 2020.08.23 Sunday
  • 00:47

皆さま😃こんにちは。



時代は江戸末期。倒幕派の勢いが止まらずその勢いは、

江戸にまで押し寄せようとしています。

薩摩、長州、土佐らの外様藩と徳川幕府との関係性、

士農工商の独特な身分制度がもたらした歪み。



幕府の庇護を受けている囲碁界にも、いよいよ倒幕の

影響が出始めた…そんな時代。



本因坊秀和の晩年。

秀和が出願した名人碁所に対し、松本因碩が執拗な反対運動を行なっています。

先代幻庵因碩の無念を晴らす為なのか、私怨があるのか、そのいずれもか。

秀和ならば…と、実力の違いを見せつけようと用意した直接対決。



大方の予想は秀和の圧勝に終わるとみられていました。

が、予想に反し局面は一進一退の好勝負。

いや、むしろ松本因碩優勢か?と言う展開を見せます。



碁は夜戦に突入。

心配になった伊藤松和は、席を立った秀和にそっと『このままで大丈夫か』と

声を掛けたと言われています。



秀和は『心配無用。ヨセに入れば』と答えたそうです。

秀和自身、ヨセには絶対の自信があります。

まして相手は松本因碩。じっくり打っていれば、追いつけるはず。


しかし、勝負事です。

勝敗は打ってみなければわからない。

秀和とてそんな事は、百も承知だったと思われます。



分かっていたはず…



この一局は『松本因碩奇跡の一局』と伝えられます。

松本因碩には失礼な話ですが。



『かつて本因坊秀和に名人碁所を阻止された、

幻庵因碩自らが無念を晴らすべく松本因碩に乗り移った。』

こんな逸話まで残っています。



結果は松本因碩の、先番一目勝ち。

こうして秀和の名人碁所就位は、夢のまま終わります。



それから数年が経過。

本因坊秀策が病に倒れ、秀和は跡目を失います。



秀和には3人の男の子がいました。

上から秀悦、秀栄、秀元です。

ただそれぞれに幼く、跡目に据えるにはまだまだ時間が掛かりそうです。



秀策が居なくなった今、本因坊家存続をどうするのか?

跡目に誰を据えるのか。



秀和にはもう1人期待の弟子が居ました。

名前は村瀬秀甫。後の十八世 本因坊秀甫です。



秀甫、秀悦、秀栄、秀元を中心に、江戸末期から明治に掛けての

囲碁界は大きく変革していきます。




囲碁フォーカスのご案内

  • 2020.08.17 Monday
  • 12:05

皆さま😃こんにちは



今日は御案内。



8月23日放映の囲碁フォーカスに、少しだけですが出演予定です。

携わったのは『痛快 囲碁昔話』の放映です。



本能寺の変の前日に、本因坊算砂が対局していた!

その時に出来た不思議な形…などのエピソードを放送します。



他のエピソードも満載です。

ヒントは『吐血の局』



多分私の出演は数分(笑)だと思いますが、ご覧頂けたら嬉しいです。



今回は新しい試みもあり、ディレクターさんも気合い入ってます‼

どうぞお楽しみに。





囲碁の歴史 今後の展開

  • 2020.08.14 Friday
  • 10:33

皆さま😃こんにちは



今日は碁聖戦第三局です。

挑戦者一力さんが、王手を掛けています。



初のビックタイトル獲得なるかどうかが、注目されています。

とは言え早碁などで既にタイトルは、既に獲得済みです。



羽根碁聖が踏ん張るか?外は暑いので、ゆっくり自宅で観戦も良いですね。



囲碁の歴史シリーズ、井上家も明治時代に近づきました。

幻庵因碩の後、松本因碩が登場します。



松本因碩は本因坊秀和の、名人碁所を阻止したと言われています。

その角錐もあるのですが…



そして林家の歴代当主をご紹介もあります。

考えた結果。一度江戸末期から、明治時代に移行しようかと思います。



予定では林家最期の当主、林秀栄(後の本因坊秀栄)をご紹介して、

全体像と大きな流れをご紹介する予定でいます。



江戸から明治へ、時代が大きく変化したと同時に、囲碁界も

大きく変動していきます。



もっともあくまで『予定』ですので、のんびりとお待ち下さい。


囲碁の歴史65

  • 2020.08.07 Friday
  • 13:09

皆さま😃こんにちは



今日は本当に暑いです。

お出かけする際はお気をつけ下さい。

朝散歩しましたが、速攻帰宅の早業でした。



十一世 幻庵因碩の晩年です。



本因坊丈和は名人碁所に就位。

丈和との対局は、最早叶わぬ夢となりました。



それから幾年月が過ぎ。

本因坊丈和が名人碁所を退位し、同時に本因坊家当主も退隠します。

本因坊家は本因坊丈策が継ぎます。跡目秀和、次跡目秀策となります。



八段準名人は、幻庵因碩只一人となりました。

自然な流れなら、次の名人碁所は幻庵因碩です。



幻庵因碩は幕府に対して、自身の名人碁所出願を行います。

本因坊丈和に互先で勝ち、自身の強さを証明出来なくなった今、

取るべき手段は名人碁所の就位を目指すのみ…だったのかもしれません。



幕府側も幻庵因碩の名人碁所就位に、格別の反対論は出て来なかったようです。

が、しかし。本因坊家が強固に反対をします。



幕府が本因坊家に説得を試みますが、本因坊丈策はイエスと言いません。

更に本因坊丈策は幻庵因碩に対し、争碁の申し入れ行います。

問題なのは争碁の相手を誰が勤めるのか?



本来であれば坊家当主である、本因坊丈策です。

しかし、申し入れには…跡目本因坊秀和となっています。



これは異例の申し入れです。



この辺りの本因坊丈策側の経緯は、既に書きましたので(32話)

幻庵因碩はどうしたのか?



幻庵因碩はひとまず、坊家当主である本因坊丈策が打つべしと、

幕府側と坊門側に通達します。当然の主張です。



折れない本因坊丈策、対局相手に跡目秀和を変更しません。

結果、幻庵因碩は秀和との争碁を打つ決意をします。



恐らくここまで、幻庵因碩にとって想定内の流れだったと思います。

次世代最強の打ち手、本因坊秀和との決戦を望んでいたのではないでしょうか。



ここからは得意の妄想です。



幻庵因碩は地位や名誉に固執があったようには見えません。

ひたすらに、自身の存在意義を考え、後世に残そうとしたのではないかと

感じます。



因碩自身の著書に『余いまだ何心なき六歳の秋より、不幸にして此技芸を

覚え始め、つるが素より武門に生まれたるからは文武を学びてこそと、

青雲の志やむときなれど、父の厳命黙し難くて12の時に井上家養子となり…』



の一節が残されています。

武門の生まれなのに、意図せず技芸(囲碁)の道に入った因碩。

自身の存在意義を、自問自答する日々だったようです。



余談ですが幻庵因碩は時の徳川将軍に対し、

施政訊す提言書を出した事もあります。



結果、棋道を究め、自身を高めることに邁進する。

そして囲碁の世界で自身の存在意義を、確かめたかったのでは

ないでしょうか。



でも囲碁は一人で、自身を高めるのは限界があります。

大切なのは仲間であり、好敵手の存在です。



幸運にも本因坊丈和との出会いがありました。

切磋琢磨し、技術を向上させていきます。

が、残念ながらぞれぞれの立場から、対局が激減していきます。



次なる好敵手は…それが本因坊秀和でした。



争碁20番勝負。

幻庵因碩は一局目に全力を尽くします。



残念なのは年齢体力。

時間制限の無い時代です。

幻庵因碩は本因坊秀和の黒番を破る事は出来ませんでした。



幻庵因碩敗れましたが、ここに名局棋譜を残しました。

対秀和、争碁第一局とこの後に行われた、お好み碁会での

一局は後世に語り継がれる一局となりました。



更にはここから数年後。

本因坊秀策との一局。

『耳赤の局』として、これも語り継がれる名局です。



本因坊丈和、本因坊秀和、本因坊秀策と、数々の名局残した

幻庵因碩。自身の存在意義を確たる形『棋譜』において、後世の

私たちに残して下さいました。



幻庵因碩いかがでしたか?



今日はこの辺で

続きはまた


(読み物としてお楽しみ頂けたら嬉しい😆です)







久しぶり

  • 2020.08.01 Saturday
  • 20:09

皆さま😃こんにちは



今週は対局でした。

久しぶりの三時間。



色々景色の違う対局室。

ちょっとだけですが、隣が遠い感じです。



ぼやきもいけません。

でも、逆に対局マナーは良いのかもしれません。



色々緊張しました。

結果はたまたまですが、幸いしました。



また頑張ります。



囲碁の歴史64

  • 2020.07.28 Tuesday
  • 13:15

皆さま😃こんにちは。



梅雨明けの気配がやっと見えてきましたね。

そろりと外に出掛けてみようかと思います。



久しぶりの歴史話しの続きです。

井上家十一世 幻庵因碩の続きです。



本因坊丈和との名人碁所騒動、『天保の内訌』の所から。

少し整理しましょう。



結局のところ幕府の裁定により、本因坊丈和と安井知得の間で、

争碁を行うことになります。そして知得高齢の為、不慮の事態で

争碁継続不能となった場合、幻庵因碩が引き継ぐことになっています。



但し争碁開始は『数年内』となっています。

ここは少々不思議なところ。



そしてこの『数年内』の部分を、上手く使った棋士がいます。

それは…林元美です。



林元美は本因坊丈和を応援しています。

但し思惑あり。



丈和が名人碁所に就位した暁には、自身の八段上手に推挙する約定

を交わしています。因みにこの約定が後に丈和の『瑕疵』となります。



争碁になってしまうと、林元美の八段昇進も立ち消えとなる

可能性が高くなります。



だったら実力で…となりますが。

八段上手には安井知得、幻庵因碩がいます。

時代が悪いですね。



そこで考えた林元美。水戸出身である事を巧みに使います。

一説には水戸藩主、徳川斉昭に働きかけたと言われています。



結果、林元美の働きにより、幕府より突然の沙汰がおり、争碁は

行われず本因坊丈和が名人碁所に就位することになります。



突然の沙汰だった…と言われています。



幻庵因碩も驚いたでしょうね。恐らく争碁は一局目を知得が打ち、

その後を引き継ぐ形となった事でしょう。一世一代の勝負の場が

突然、霧消してしまいました。



幻庵因碩にとっては生涯の痛恨事。

そして本因坊丈和も微妙なところ。

争碁を打つ決心と覚悟をしていたと思われます。



やはり幻庵因碩との決戦を避けて、名人碁所に

『確実に』就位するのは難しい。と、同時に

ワクワクした気持ちもあったはずです。



幻庵因碩と本因坊丈和、幻の争碁。

後世の我々にとっても残念な出来事です。



本因坊丈和が名人碁所に就位した為、幻庵因碩は公式の場で

丈和と対局する事は事実上不可能となりました。



幻庵因碩の向かうべき先は?

戦うべき相手は?

大きな目標、本因坊丈和を失いました。



でも、天は幻庵因碩を見捨てません。

幻庵には次のステージが用意されていました。



本因坊秀和との角錐です。



今日はこの辺で。

続きはまた。



(読み物としてお楽しみ頂けたら嬉しい😆です。)

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